Christ Suffered and Died to Deliver Us from the Present Evil/ja
From Gospel Translations
ガラテヤ 1:4
キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。
私たちが死ぬまで、あるいはキリストがご自身のみ国を確立するため戻られるまで、私 たちは「今の悪の世界[時代]」に生きる。それゆえ、聖書がキリストは「今の悪の世界[時 代]から私たちを救い出そうとして」ご自身をお捨てになったというとき、それは私たちをこの世から連れ出される、という意味ではなく、この世にいる悪しき者の力から私たちを 救い出される、という意味である。イエスはこのように私たちのために祈られた―「彼ら をこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるように お願いします」(ヨハネ 17:15)と。
イエスが「悪い者」からの救出を祈られる理由は、「今の悪の世界[時代]」がサタンが騙 し破壊する自由を与えられている時代だからである。聖書は言う、「全世界は悪い者の 支配下にあることを知っています」(1 ヨハネ 5:19)と。この「悪い者」は、「この世の神」と 呼ばれており、彼の主な目的は人々を真理に対し盲目にすることである。「この世の神 が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を 輝かせ[見]ないようにしているのです。」(2 コリント 4:4)
私たちの盲目にさせられた霊的状態に気付かない限り、私たちは「今の悪の世界[時代]」 とその支配者に同調して、生きるのである。「(あなた方は)そのころは、それらの罪の中 にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました」(エペソ 2:2)。知らずに、私たちは悪魔にへ つらう者たちであった。束縛のない者のように感じていたことは、束縛であった。聖書が 「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです」(2 ペテロ 2:19)と言うとき、21 世紀 の流行、楽しみ、依存症に、直接語っている。
聖書にある自由を鳴り響かせる叫びは、「この世と調子を合せてはいけません。いや、むしろ、…心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ 12:2)である。言い換えると、自 由になりなさい!この時代のグルたちに騙されてはいけない。彼らは今日は存在するが、明日はいなくなる。奴隷にしてしまう一つの流行は、他の流行に取って代わる。30 年後 には入れ墨は自由の印ではなく、消すことのできないこの世に対する服従を思い出させ るものになる。
この時代の知恵は、永遠から見ると愚かである。「だれも自分を欺いてはいけません。 もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには 愚かになりなさい。なぜなら、この世の知恵は、神のみ前では愚かだからです。…十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かです」(1 コリント 3:18−19、1:18)。それでは、この時代の神の知恵とは何か?それはイエス・キリストの、私たちを自由にさせる偉大な 死である。初代のイエスの弟子たちはこのように言った、「しかし私たちは十字架につけ られたキリストを宣べ伝えるのです。…キリストは神の力、神の知恵なのです」(1 コリン ト 1:23)と。
キリストが十字架へ上られたとき、多くの捕虜を自由にされた。主は悪魔の詐欺を暴き、 その力を打ち破られた。十字架に架けられる前夜、主が、「今、この世を支配する者は 追いだされるのです」(ヨハネ 12:31)と言われたとき、そのことを意味したのである。打ち負かされた者に従ってはならない。それは犠牲を払うことになる。あなたはこの時代 では追放者になるかも知れない。しかしあなたは自由になる。